1月9日(火)始業式の前に黙祷について話しました
- 公開日
- 2024/01/09
- 更新日
- 2024/01/09
お知らせ
わたし(校長)が皆さんと同じ中3三学期、始業式の出来事です。
社会科の先生が、冬休みの間に病気で亡くなりました。それを受けて1000人近い生徒で一斉に黙祷を行いました。わたしは恥ずかしながら黙祷の意味を理解していませんでした。その黙祷は、黙祷というにはあまりにもかけ離れた、形ばかりのものになっていました。恥ずべきことのひとつに「無知」があります。知らないということは、愚かで恥ずかしいことです。その当時は、考えが及びませんでした。
黙祷とは、世界共通の、声を立てずに祈る行為のことを言います。これは「自分を見つめ直す時間」であり「自分の心を整理する時間」でもあります。目をつぶり、一定時間無言で祈りを捧げます。一斉に行う場合には、アナウンスに従って起立して目をつぶります。集中できれば、目は必ずしもつぶらなくてもいいです。
では、わたしたちが黙祷することに意味はあるのでしょうか。
今、能登で被災して亡くなった多くの方々、苦しんでいる方々の立場になって考えてみてください。
わたしたちに何がしてほしいのか。わたしはそれらのひとつに「忘れない」ということがあるのだと思います。四六時中、能登のことを考えるのはひじょうに苦しく、難しいことです。わたしたちには何より、基本である目の前の日常生活があります。その毎日をしっかりと生きることは最優先すべきことです。
そして、ある時に、皆で能登の方達の、少しでも安らかな未来を祈ることは、何もできることはないと開き直った人間の姿よりも、ずっと人間らしい姿であると思うのです。
この先、皆さんの長い人生の中で、何度か黙祷する機会が訪れると思います。その度に今日のわたしの話を思い出してくれたら、ありがたいです。